ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地です。エルサレムではこれらの宗教が共存しており「平和の都」と呼ばれています。キリストの受難と復活の地をたどることができます。「エルサレムの平和のために祈れ」詩篇122篇
オリーブ山は、主が「昇天された山」また「再臨される山」でもあります(使徒1:9)。「イエスが天に上ったのと同じ有様でまたおいでになる。」と預言されています(使徒1:11)。
ゲッセマネの園は、エルサレムの城壁のすぐ東、ケデロンの谷を越えたところにあります。イエス時代、この付近にはオリーブの森があったといわれています。ゲッセマネとはヘブライ語で「油しぼり」という意味であり、この場所にオリーブ油の精錬所があったと思われます。
旧市街の南部を一望できます。ここが大祭司カヤパの邸宅跡であり、ペテロが、鶏が2度鳴く前にイエスを3度否んだ場所であるところから、「鶏鳴教会」と呼ばれています(ルカ22:54-62)。
ヴィア・ドロローサとはラテン語で「悲しみの道」という意味です。イエスが死刑判決を受けたピラト官邸から、ゴルゴダの丘(現在の聖墳墓教会)に至る約1㎞の道程を指しています。ヴィア・ドロローサには、イエスが死刑の宣告を受けてから墓に納められるまでの14のステーションがあります。
教会内部は、ローマ・カトリック、ギリシア正教、アルメニア正教の他、シリア、エチオピア、コプト正教によって区分分離がなされています。ヴィア・ドロローサの9ステーションから14ステーションは、聖墳墓教会の内部にあります。
園のすぐ傍らに、「園の墓」と呼ばれる緑に囲まれた墓があります。墓は横穴式。聖書に「イエスが十字架につけられた場所に園があって・・・(ヨハネ19:41)」とあります。この園の墓の扉には、「HE IS NOT HERE-FOR HE IS RISEN(彼はここにはおられません。よみがえられました)」と書かれています。
ダビデがエブス人の町を征服し、イスラエル国の首都とした場所がこの町です(Ⅱサムエル5:9)。ギホンの泉からシロアムの池をつなぐ地下の水路、全長533m、幅60cmの「ヒゼキヤのトンネル」があります(Ⅱ列王20:20、Ⅱ歴代32:30)。
4千年前のアブラハム時代のモリヤの丘であり、(創世22:1-14)3千年前にダビデが神の箱を設置して都の基礎を築いた場所です。(Ⅰサムエル6章)2千年前には、イエスがたびたび訪れた場所でもあります。紀元70年にローマ軍によって神殿を破壊されました。現在この神殿の丘には、岩のドーム、エルアクサ寺院、イスラム博物館などのイスラム教の建物が建ち並んでいます。
ユダヤ人は、神殿がないことを嘆いて祈るため、「嘆きの壁」と呼ばれています。1948年にイスラエルが建国され、それからはヨルダンの管理下になりましたが、ユダヤ人はこの壁に近付くことも禁止されていました。しかし1967年6月7日の六日戦争の勝利によって、だれでも自由に祈ることが許されました。男性と女性の祈る場所が仕切られています。
博物館には、ユダヤ民族美術、世界の美術コレクション、イスラエルの考古学出土品、20世紀最大の考古学発見と言われる死海文書などが収められています。ローマ軍によって破壊される直前である紀元66年ごろのエルサレムが、模型(第二神殿時代の模型を含む)で再現されています。
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによって虐殺された約600万人のユダヤ人を慰霊する目的で建てられた博物館です。イザヤ書56章5節に出てくる、「我が家、我が城壁に刻む、決して消し去られることがない記念と記憶」というヘブライ語のヤド・バシェム(記念と記憶)にちなみ、その名が付けられました。
その名はヘブライ語で「パンの家」という意味があります。イエスのご聖誕とされている場所に、聖誕教会(ルカ2:1-7)や羊飼いの野の教会が建っています(ルカ2:8-20)。